創業者山岡古都
より美しい自然の色を求めて、沖縄へ
首里琉染の創業者・山岡古都は、昭和26年に京都で染色の道を歩み始めました。
以来、染色家として、話題となる作品を次々と世に問い続けてきた一方、草木染めや古代染めの研究者としての知識を併せ持ち、日本の染色界を常に牽引しつづけました。
京友禅の洗練された技術と天然染料の宝庫・沖縄とを往復しながら、古代染めの再現と新しい染めの可能性を探していた山岡。
そんな山岡に、琉球王国時代から受け継がれていた紅型の衰退を危惧した日本染織名誉会長から要請が入ります。
それは、「紅型の復興と染色技術の伝承のために尽力してほしい」ということ。
そこで山岡は私財を投じて、沖縄の伝統の染色工芸の発展に寄与するため、昭和48年、沖縄で初めての草木染紅型研究所「首里琉染」を創設したのです。
山岡のことを知っている人たちは、「少年のまま大人になった人」「愛すべきヘンクツ親父」「浮世離れした大人物」「夢を現実の姿にする有言実行の人」など、様々な表現をしていました。
染色作家という枠にはまらない、少年のような純な心と、独創的な発想、自由自在の行動力を兼ね備えた博覧強記の知識人であり、文化人であり、芸術家である実像が浮かび上がってきます。
山岡はその純粋で好奇心旺盛な職人気質で、紅型の復興はもちろん、装う女性に「よろこび」と「感動」を与える新しい染色作品を次々と制作し、新しい染めの可能性を切り拓きました。
その他、染色技術の継承のための染色教室や着付教室を開講し、着物の普及や啓蒙に尽力、途絶えていた琉球王国時代の服飾文化を研究・復活させ、貴重な文化財を収集し寄贈するなど、染色作家の枠に収まらない幅広い活動を展開し続けました。
山岡の紅型に対する思い、
首里琉染に対する想いは、
今も弊社のスタッフに引き継がれ、
それが首里琉染の変わらない指針となっています。